君の心が折れそうな時、運命のようにこの手伸ばそう
「浮気する人なんてサイテー!!ありえない」
そう思っていた時期がわたしにもありました。意外とありました本当に。
下ネタもNG、いちばん好きな人以外と付き合うなんて考えられない、いちばん好きじゃない異性に気を持たせるなんてひどい!!
……そんな考えが全部まるごとひっくり返ったのは大学2年の夏。
十代最後のその夏に、当時付き合っていた男(バンドマン、専門学生、一個上)の浮気を知り、夜中にいきなり発狂してサークルの夏合宿先である伊豆から逃亡したことがきっかけだったさ。
あの時バイト明けで高速飛ばして迎えに来てくれたやまちゃん、本当にありがとう。
それまでは、
「万が一、浮気されたりなんかしたら、一瞬で冷める。百万パーセント別れる」
と、信じて疑っていなかったのに。
いざその時が来たら、まるで別れられなかった。
むしろ、
「いや、なんで私は何にも悪くないのに、好きな人と別れなきゃならないわけ?意味わからん」
といった気持ちにさえなって。
でも、自分のプライドが高すぎて忘れることも水に流すこともできず、事あるごとに発狂して彼氏を責め続ける嫌な女になってしまった。
そこから、
「万が一浮気された時にすぐ嫌いになれるように、別の人も好きになっておきたい」
みたいな病気が発動しちゃって。
結婚するまでの6年くらい、その病気を抱えて生きていました。(詳細略)
なんで急にそんな病気の話をしたかというと、
私は手越くんのことがあって、趣味の方にも同じ病を抱えてしまいそうだと思ったから。
最悪である。
あの頃の学びがあるから手越くんとはお別れ出来たんだけど、事あるごとに発狂してメソメソ泣いてしまうし、気持ちはまだまだ整理できてないみたい。
いと情けなし。
そして思いもよらないダメージから、
◆二度と傷付きたくない
◆不意打ちで去られるくらいなら先に飽きたい
◆一方的に恥をかきたくないので常に保険かけたい
そんな思考も爆誕してしまった。
正直、全部恋愛において抱いていた思考で。
いま、だいすきな趣味に対しても、
突然去られてしまう恐怖を抱いている。
その結果、のめり込み過ぎないように、好きなところをたくさん見つけ過ぎないように、ヨソにも軽くハマっておいて、ほどほどに、ほどほどに、
って、したいのに、まるで無理。
無理なのだ。
あな情けなし。
ちょっと人に話すの恥ずいぐらいハマってしまって、好きなところもしこたま見つけ続けてしまって、ヨソでは代わりがつとまらないほど圧倒的にいちばん好きになってしまって、クールでもいられず、だからこそ、こわい夜がある。
私ったら、恋愛みたいに器用に(?)保険をかけられない、オタク初心者なのだ。
そして懲りもせず、彼らが続けてくれる方に全額ベットしてしまう。
僕にはそれがひとつのアンサーなのだ。
ひとはそれを思春期とよぶのか?(ちがう)
また熱が出た。
38.7°
十分な高熱だけど、つい先月40を連発していた身としては「もっと高みに来いよ、」なんて、相棒のオムロンを煽る余裕がある。
もうひとつ。
朝も続くなら受診しよう、そんな夜が今月だけでも2、3回はあったことも私から焦りを奪っている。
要するに、最近身体の調子がおかしい。
さっき、通勤ルートに我が家の最寄り駅が含まれている旧友と、駅前のしょぼい公園で氷結を飲んだ。
たまたま連絡したら「いま〇〇駅だよ〜」とのことで、そんなふうに場面で会ったり学生みたいに公園で缶酒を飲んだりするのってテンションが上がってしまうたちなので。
年甲斐もなくとか言わないで。
ディスタンス、ディスタンス。
で、帰宅したらこれである。
さすがに萎える。
こんな夜は、浅いところにある地味な問題が浮かんできてしまうもので、
私は最近Twitterどうしてこ〜って事をぼんやり思案していると自覚する。
マシュマロを返すのは楽しい。
会ったことも顔を見たことも無い人の、それ故に持ちかけられた相談ごとから背景を読み取るのは単純に面白いし、私が足止めされたことのない問題や悩みに直面している方々の人生を、擬似体験して回答するのは読書に近いたのしみがある。
(おもしろがってはいないよ)
だけど、それ以外の話をカジュアルに書き流すことにとまどいが生まれている。
コスメツイも、他の趣味ツイも、『ここじゃないかあ〜』というザックリとした抵抗感に、ふよふよと跳ね返されて下書きにすら保存されない。
ふよふよと、だからまた難しい。
なんだか気がノッてんな、という日は送信ボタンを押せるし、振り返ってみて「ちがったな」と気に病むような事はないのだ。
実際の生活においては、体調が「?」ながらも新たなジャンルのオタクとして毎日をエンジョイしているし、たまにはジャニアカで推し芸人サイコーステマとかしてみたいとも思うのだけれど。
な〜んか違うかぁ〜ってなっちゃう。
初めて対峙するふよふよの自分にとまどいながら、
僕たちはこうやって大きな悲しみを乗り越えていくのかなと眠りに集中する。
こんな夜もいいのか。
【遺書】叶うなら彼に、永遠の幸福を【担降りブログと呼ばないで】
ロザンのYouTubeで努力について語られていた内容にハッとした。
菅さんにとっての「努力」の定義は、
「自分にとっては楽だけど、他人にとってはしんどいこと」
だそうで、自分からみても他人から見てもしんどいことをやるのが努力だと語られがちだが、菅さんにとってはそうじゃない、ということだった。
それでは続けられない、と。
(私はここで、「継続」もまた「努力」を構成する要素だと改めて気付かされた)
これを受けて、とても感心した様子の宇治原さんが最近感じた違和感についてお話しされていた。
「コロナの影響で、甲子園が中止になってしまったという出来事について、高校球児が可哀想だという話題がいろいろなメディアでとりあげられる。
もちろん、そこを目指して頑張ってきた高校球児たちは可哀想だし、悔しい気持ちも絶対にあると思う。
だけど、一番最初にあるのは“野球が好き”という気持ちであって、その部分を飛ばしてただ可哀想だと語られてしまうことには違和感がある。
“苦役を強いられてきた人たちが、最後の果実(甲子園)を奪われてしまった”
かのような論調には違和感がある。
大会が中止になって、残念で可哀想だとは思うが、これまでの高校生活で野球をやってきて、楽しかった思い出が奪われてしまうわけではない」と。
この動画の大半の視聴者が抱く感想とは全く違うとわかった上で書くけど、
私が5年間手越担だったことを、努力したねって、自分で認めてあげていいなって思った。
もちろん一番の望みは、“続いていくこと”だったり、“テッペン獲るところを見届けること”だったり、“STORYの完結に立ち会うこと”だったり、手越くんと叶えなきゃ意味がないと思っていた身としては大変つらいのだけど。
でも、それが手に入らないからって、何もかもが無駄になるわけではないし、
私はちゃんと目指す場所に向けて、その時できること・他人から見たら「よくやるわ」みたいなことを望んでやってきたし、たった5年かもしれないけれど継続した自信はある。
プロにならなかったら野球部に入る意味がないのか?→No
なら、
いつか気持ちに区切りがつくならアイドルを愛する意味がないのか?
――これだってNoだ。
最後の大会がなくなってしまっても、去年までの大会に全力で臨んだし、
仲間と呼べる人間が周りにいるし、
書ききれないくらいの最高の思い出だってできたし、
そして、これから何だってできる。
この経験を持ったうえで、何だってできる。
高校球児たちがコロナウイルスを恨み、憎むように、
私は”手越くんが人間だったこと”を恨み、憎むしかないのかもしれないけれど、
高校球児たちと違って、私は人間だから手越くんが好きだったのだ。
この後、どんなことがあっても、私の5年間のかけがえのない「正しい努力」は
ちゃんとNEWSに届いてたって信じられる。
アイドルを愛する気持ちと、仲間と、たくさんの経験が私に残っているように、
絶えず贈り続けた愛はNEWSに届いてるに決まっている。
それでいいんだ。
手越くんとの青春は終わったけれど、
でも、私自身の終わりなき青春は確かにここに在る。
NEWSが出会わせてくれた仲間と、手越くんが教えてくれた感情と、
そういうものをちゃんとずっと大切に持っていることが、
わたしの青春を続けさせてくれるのではないだろうか。
自分が愛し、守りたいと思ったひとを。
幸せにするんだと信じて疑わなかったことを。
恥ずかしい過去と呼ぶなんて、ダサすぎる。
そんなダサい人間じゃない自分で本当に良かった。
私がわたしを好きでいられるってことは、間違いなく、
手越くんを選んで良かったんだ。
ここでお別れだけど、ちゃんとお別れしても生きていける。
ちゃんと自分のこと好きなまま、あなたとバイバイできる。
その上で、気が狂うほど、たったひとり、手越祐也という孤高のアイドルを、
愛して、愛して、ちゃんと愛してここまでこれました。
ありがとうございました。
おんなともだち
人付き合い全般が得意なんだけど、一番難しいなと思うのが女友達という関係。
そう思うきっかけになったのが、高校時代の親友との決裂(?)。未だに本当のところは分からないし、それ以降、女の子に過度に思い入れを持つことは避けているので解決できないままなのだけど。
わたしは都内外れにある私立大学附属の高校に通っていて、全校生徒の半分が併設中学からの持ち上がり進学だった。併中生と呼ばれる附属上がりの子たちに比べ、公立中学から高校受験で入ってきた私たち新入生はみんなダサくて幼かった。
やはり、中学一年の頃から高校生のお姉さん、お兄さんが身の周りにいたり、時には合同で部活動をしていた子たちは早熟で、とてもイケてるように見えた。
そんなだから、自然と新入生同士でグループが作られていき、4月に名前順の座席でつるんだ子とは違う “しっくりくる相手” を見つけた夏頃に、わたしはトリオになっていた。
我ながら順応力が半端ないので、体育の授業のドッジボールをガチることによって併中生のイケてる女子グループに一目置かれ、クラスの一大勢力の仲間入りも果たす。
授業や学校行事では10人近いいわゆる一軍集団で行動したが、その中においてもやはり当初の3人組としての組織は残っていた。そして、年頃の女の子が奇数で集まるとどうなるか、考えなくても分かることだが “特に仲良い2人組と、もう1人” の図になる。幸い、私達トリオの中の1人が早々に部活の先輩と付き合い始めたことで、角が立つことなく私は2人組となり、結果的にその相方とは親友になった。毎日の登下校を共にし、放課後には帰宅部同士毎日のようにカラオケやプリクラに勤しんだ。
互いの家に泊まり合う中で、彼女の複雑な家庭環境に触れたりもした。
彼女の想い人に告白されてしまった時も、キッパリ断った上で正直に打ち明けて、何故か夜中に2人で泣いたりもした。(そのあとこの男に大学卒業まで想いを寄せ続けることになるが、またそれは別のお話)
バレンタインも、ハロウィンも、クリスマスも、2人で楽しいことを企画して、いつも爆笑していた。クラスでは大所帯に属しているけど、声の大きい私達があらゆる遊びの発起人になり、みんなで色んなところに遊びにいった。
そんな時もいつも、私と彼女は隣同士に座っていた。
高校2年でクラスが別々になっても、基本的な勢力構成は学年単位で継続された。去年までのクラスでの立ち位置が同じような誰かを、なんとなく見繕いあって、同じような居心地のクラスになっていく。
当初、一年時の大グループから同じクラスになった子が一人も居なかった私は焦りこそすれ、上手いことたち回って愉快な環境を手に入れた。
授業やクラス行事で共に行動する女子は居ても、HR終わりには教室で別れを告げ合って元の友達と待ち合わせる。登下校がスクールバスだったこともあり、そこでの絆は特別強く、それは学年全体を通してみな同じ認識だったと思う。
高校生なりに、みんな、律儀な友情観を携えていて、クラスの友達はクラスだけの友達、登下校の友達が一番仲良し、というのをきっちりと守っていたように思う。今考えると、だけれど。
例に漏れず、わたしもいつもの3人組で登校バスに乗り、放課後は2人で遊んで帰る毎日。(もう1人は部活をしていたし、彼氏と帰っていた)
それが、2年の終わり頃から、変わり始めた。
ちょうど、同じようなタイミングで互いに恋人が出来て、どちらかが彼と帰る日にはどちらかもそうしたり、そんなふうに、バランス良く関係を維持できていたと思っていたが。
段々彼女の様子がおかしくなっていった。
どうやら彼氏と帰っていない日にも、帰りの待ち合わせを断られているようだと気付いた。
朝の登校バスも、気付けば私が後ろの(“2人組じゃない一人”の)席に座ることが増えた。
知らない間に私以外の2人で遊んでいて、撮ったプリクラを笑顔で渡された時、感じたことのない恐怖で体が震えそうになった。笑顔で受け取れたはずだけど。
結局、3年に上がる頃には完全に2:1の組み合わせが入れ替わっていて、わたしは卒業まで1のままだった。気付いた後、わたしが彼女と2人で遊んだことはない。
かと言って、卒業式の日まで登下校は一緒だったし、最後に3人で撮った写真から第三者が違和感を掬いとることは出来ないと思う。
だけど、確実にわたしは「切られた」。
思い当たるのは、私の奔放な恋愛観に引かれてたのかな、というぐらいなのだけど(笑)、きっと違っても一生知ることはないのだろうな。身近な彼女達の心が離れたのだから、当然他の女子にも距離を取られていた。これもまた、気付いたら学年中の女子に距離を持たれていた。(ほんの数人を除いて)
動揺したし、寂しく、何より恥ずかしい気持ちで落ち込みそうにもなったが、強烈にプライドが高いことで気丈に振る舞えた。結果、高校最後の数ヶ月はほとんど男子と過ごしていた。
残酷なことに、生徒の8割が附属大学に進学するため、わたしはこの呪いを卒業でリセット出来ない。
「絶対こいつらよりイケイケの大学生になってやるからな」という強い気持ちが私をパーティーピーポー大学ウェイ学部飲み学科オールラウンドサークル専攻へと導いた。
結果、わたしを切ったあの子達よりずっと騒がしい大学生活を送った自負があるが、それでもずっと彼女からのマイミク申請を待ってしまう自分がいた。高校からの腐れ縁友達(上記のゴニョゴニョ男)が彼女を悪く言うことで私を励まそうとしてくれたが、ありがとうの気持ちで一緒にディスりつつも、それでも「仲直りしよ」って言われたら尻尾を振って飛びついただろうなぁと今でも思う。
そして、そんな自分がダサくて嫌だなぁとも思う。
という出来事から、大学以降あまり女友達に強く思い入れない様にしてきた。素を見せるのは意外と男相手ばかりで、その結果共依存系彼氏を量産する人生になった。
女の子と接する時にこそ一番空気を読んだり、「この場の役に立つように」という考えで行動してしまうし、逆にいうとライフステージの変化やちょっとした違和感で簡単に縁を切ってしまう。
切られることが嫌すぎて、先に自分から切る人生の繰り返しの中で、どうやら私は女友達が不得手なのだなぁと自覚した。
でも、そんな自分のことも好きなのだ。
自分が何に傷付くか、どうしてなのか、どうやったら避けられるか。考えて、自分のために行動できるところがとても良いと思う。
だけど最近、私はまた大きな女友達のネットワークに所属してしまったように感じている。
趣味の仲間、という集い方をしたのが初めてだから、これからどうなるか分からないけれど、趣味を超えて結び付く瞬間や、空気を読むことにこだわらなくてもいいやと思える夜を共にして、それが年単位で続いていることに、さすがに降参した。
苦手なことに距離を取る処世術が武器のわたしですが、性懲りもなく女友達が増えてしまった。弱点が増えてしまったけれど、仕方がないので受け入れて乾杯を繰り返してゆく。
もしかしたら、今度はうまくゆくのかもしれない。
NEW STORY
本当は、私は、NEWSのコンサートが予定通りできなかったことが一番つらい。
予定通り立ち会えなかったことが、観られなかったことが、それが一番つらい。
いい歳した既婚女性が、ジャニーズのコンサートひとつ我慢できなくてどうする、
世界中にもっとシリアスな局面に立たされている地域があって、家族や自分の命を賭して働く人たちがいて、
そんな私の理性的な視点がフタをしてくれるけど。
Twitterにだって書かないし、
夫にも、友達にも言わないし、
そんなこと、思ってもないように明るくたのしくステイホームを全うして見せるけど。
だけど、一連の新型ウィルス被害じゃない自分事の生活にだって悲しいこととかやるせないこととか、諦めたり、故意に忘れたり、手放したりした、楽しいだけじゃない運命のイタズラとかもあって、それを私はTwitterに書かないし、夫にも友達にも言わないし、
そんなこと、思ってもないように明るくたのしく生きてきたから。
自分に「言わない」って約束して、堪えたシーンだってあるから。
そうやって何十年も生きてきて、そういう生き様を望んで、やってきたから、
NEWSが歌う姿や声にどれだけ助けられたか。
彼らが歌う“誰か”の歌に、どれだけ許されたか。
彼らのパフォーマンスに感動する涙に隠れて、どれだけ自分を慰められたか。
泣いていいよって、そのくらいわたし頑張ってるよって、そんな風に自分を許せるか。
ひとに言えないこと、言わないこと、
自分だけが知ってる自分のために、NEWSがとても必要なのだ。
だから頑張るのだ。
頑張れるのだ。(ハム太郎)
コンプレックスの話
なんだかんだで今日も早朝に無双モードになっている。
実家暮らしでは母に起こされていたせいで、なんとかまともな人間生活をこなしていたけれど、よく考えてみると私は幼い頃から夜が好きだった。
小学生時代、ベッドに入ってから頭の中に時間割を作り、その内容通りに考えごとをしながら寝落ちするという楽しみがあった。好きな男子に話かけるネタを作ったり、席替えでどんな配置になったら最高か妄想したり、友達の誕生日会に着ていく服のコーディネートを考えたり。
中学に入ると、母や弟が眠った夜中にそっとリビングへ降り、私のDNAの素である夜の住人・父とおしゃべりするのが好きだった。父は会社の経営者で、毎日昼に出掛けて夜遅く帰ってくる生活をしていた。母は「子供の運動会もまともに参加したことがない」なんて嘆くけれど、私も弟も父が好きだし、愛情が足りないと感じたこともない。
そんな父とたくさん話せる夜中はすごく特別な時間で、主に読んだ小説の感想を話したのだけど、まだ子供な私の感想を興味深そうに聞いてもらえることが嬉しくて、父の読んだ小説を次々と追いかけた。
大学生になり、不真面目らしく外泊をくり返し、そのたびに母から心配のメールがきていたが、父からそういった連絡をもらったことはおろか、小言を言われたこともなかった。酔って帰った深夜には、相変わらず小説を読んだり映画を見ている父の姿がリビングにあって、世間話をする時もあれば一緒に映画を観ることもあった。
会社員になると、父のオフィスと私の勤め先が徒歩数分の距離になったため、よく父の車に乗せて貰って出勤していた。自宅から一時間弱のドライブは楽しくて、その時にも小説や映画や、少し仕事の話もするようになった。帰りに待ち合わせて食事をする日もあったりして、それまで生魚が食べられなかった私は寿司屋のカウンターで衝撃を受けたりもした。
気付けば私は、父にとって「おもしろい長女」になりたいといつも思っていた。そんなふうに過ごす時間の中で、徐々に父と対等みたいになれる瞬間が嬉しく、今ではきっと母よりわたしの方が父の仕事を理解しているように思うし、少しだけど一緒に仕事をしたこともある。
母のような「ザ家庭の女」をかわいく思いながら、私の恋愛観はいつも「好きな男に一目置かれる」ことをゴールにしてしまうのだ。
コンプレックの類は、あまり無いと思っているけれど、私は立派なファザコンなのだ。
【2019/11/11】DEAR MY SUPERSTAR YUYA
手越くんのお誕生日に寄せて、突然ですが自分の大切なものの話をします。

◆気持ち
わたしは、自分の感情がとてもすきで、とても大切にしている。
面白いときも、怒ったときも、悲しいときも。心が動いたときに、自分の中に生まれる気持ちや感情を、人生で一番楽しいものだと思っている。
エンターテインメントの核は、受け取った人の感情だと思っていて、例えばそれをつまらないと感じたとしても、そう感じたことそのものがある種の愉しみである、というような。私がどう受け取ったか、を、私が一番楽しんでいる。
幼い頃から、読書をするときには全ての登場人物に感情移入するタイプの読み方をしてきて、そのせいでキャラクター造形に敏感な大人になった。少しでも違和感があると、「ここで彼がこんな事を言うわけない」と、引っかかってしまう。結果的に、それが伏線になっていることがほとんどなんだけど、でもたまには釈然としない読後を迎えることもあって。
でも、そういうことの積み重ねで、いわゆる“人付き合いにおいて空気を読む”というようなテクニックが身についたとも思っている。他者と接するとき、その人のキャラクター造形を見つめている分、“たぶんこういう事を考えてるんだろうな”とか、“こうされたら嫌なタイプだろうな”というような、自分なりの解釈が比較的早い段階で生まれる。
それが生まれてしまったからには、なるべく相手が楽しめる場になるよう努めるし、歳を重ねるごとに反射的にその振る舞いが出来るようにもなって、家に帰ると思ったよりも疲れていたりする。
接した人が望む反応を、返答を、振る舞いを、基本的にはしたいと思っていて、自分に嘘のない範囲内でそれをやってる、驚きの無い毎日なんだけど、そんな中だからこそ、予想外に心が動く瞬間に出くわすと、泣いてしまう。
私も立派に大人を名乗れる年齢になり、だいたいのことは想定の範囲内の結末になる事、悪い言い方をすれば、だいたいのことは思い通りにはできないことを知っている。
だからこそ、起こりうる範囲内の希望を光にして歩いていくのだけど。
たまに、思ってもみない強い光に目が眩んで、泣いてしまう事がある。
一番わかりやすい例が、NEWSのコンサートで。
「ああ、私、これが見たかったのか」と、自分でも知らなかった自分の望みを、突然叶えられてしまうことばっかりだからだ。
私のことは、私が楽しませないといけないと思って生きてきた分、これには驚いてしまって、初めてNEWSを見た東京ドームでのひと時から、毎年同じように驚いて、嬉しくて、私の知らない私の感情に、胸が膨らむ。
他には、夫の何気ない行動に愛情の深さを感じたときとか。
ふと思い出した親の言葉に愛情の深さを感じたときとか。
最近だと、みんなでキャンプファイヤーしたときとかも。
予想外の色んな感情が生まれる自分の感受性がすごく好きだから、ちょっとでも気になるモノコトはなるべく齧って、試して、驚きながら生きていきたいと常々思っています。
◆言葉
わたしは、自分の言葉も好きで、すごく大切にしている。
一番届く言葉を選びたいし、それが出来ると信じている。そのためにも、自分の言葉に説得力を持たせていたいから、思ってもいない事は言いたくない。
必要な嘘をつくことは簡単に出来るうえで、言いたくない事は絶対に言わないって決めて生きている。
ありがとうとごめんなさいには、そのこだわりが強くて。
私の好きな私は、思ってもいないありがとうを言わないし、思ってもいないごめんなさいを言わない。
あとは、“絶対”と“ずっと”も。
嘘になったそれらの数だけ、説得力が死んでいくから。気安く使いたくないのである。
(「もう絶対お酒飲まない」は除く)
そうやって、わたしの言葉を守っているつもりで、それは私なりの誠意で。
これが正しいとか常識だとか言うつもりはさらさらなくて、何にでも感謝できる姿勢は美徳だという考え方も知ってるのだけど。
単純に、わたしはそうなりたいわけじゃないのだ。
で、そうやって過保護に自分の言葉を育てて、それで何がしたいのかっていうと、一番届く言葉を選びたいっていう最初のスローガンに繋がる。
言葉の面白さを、残酷さを、怖さを、日々感じるからこそ、ツールとして使いこなしたいという思いが強い。
「好き」のバリエーションも、「嫌い」のバリエーションも、誰よりもたくさん持っていたい。
そんな想いから、日々、読書をしたり、人の話を聞いたり、ドキュメンタリー番組を見たりしています。
◆手越祐也
わたしは、手越祐也くんが好きで、NEWSがとてもとても大切です。
手越くんを追っていて得られる感動も、NEWSのコンサートで受け取る愛情も。
手越くんに向ける自分の情熱も、NEWSに傾ける信頼も、期待も、時には不安も。
先に説明した通り、その全ての感情が私の好きなわたしの一部分で、だから、人生をかけて大切にしています。
そして、それらを、一番届く言葉で表現したい。
この人が言うなら、NEWSってサイコーなんだろうね、なんて、思われるくらい、説得力のある人間になりたい。
こんな気持ちになれるなら、NEWSのコンサートに行ってみたい!と、思われるような言葉を育てたい。
こんな風に、わたしの人生をより気高いところへ向かわせてくれるのが、手越祐也くんで、NEWSです。
NEWSに貰ったものと、天秤が釣り合うほどの私になりたいと思うから、
また明日からも、私の好きなわたしを続けたいと思う。
そんな、天翔る光の手越担なのだった。
ハッピーバースデー、手越祐也くん。
今日から数ヶ月だけ同い年のあなたは、私にとって、アイドルの神様で、スーパースターだよ。
貴方が貴方でいる限り、絶対に、ずっと、私はあなたを一番応援します。
32歳も駆け抜けてね!
2019年11月11日
