叶うなら、彼らに永遠の◯◯を

ジャニーズアイドル NEWSが大好きな飲酒プレイヤー

おんなともだち

 人付き合い全般が得意なんだけど、一番難しいなと思うのが女友達という関係。

 そう思うきっかけになったのが、高校時代の親友との決裂(?)。未だに本当のところは分からないし、それ以降、女の子に過度に思い入れを持つことは避けているので解決できないままなのだけど。

 

 わたしは都内外れにある私立大学附属の高校に通っていて、全校生徒の半分が併設中学からの持ち上がり進学だった。併中生と呼ばれる附属上がりの子たちに比べ、公立中学から高校受験で入ってきた私たち新入生はみんなダサくて幼かった。

 

 やはり、中学一年の頃から高校生のお姉さん、お兄さんが身の周りにいたり、時には合同で部活動をしていた子たちは早熟で、とてもイケてるように見えた。

 そんなだから、自然と新入生同士でグループが作られていき、4月に名前順の座席でつるんだ子とは違う “しっくりくる相手”   を見つけた夏頃に、わたしはトリオになっていた。

 我ながら順応力が半端ないので、体育の授業のドッジボールをガチることによって併中生のイケてる女子グループに一目置かれ、クラスの一大勢力の仲間入りも果たす。

 

 授業や学校行事では10人近いいわゆる一軍集団で行動したが、その中においてもやはり当初の3人組としての組織は残っていた。そして、年頃の女の子が奇数で集まるとどうなるか、考えなくても分かることだが “特に仲良い2人組と、もう1人”  の図になる。幸い、私達トリオの中の1人が早々に部活の先輩と付き合い始めたことで、角が立つことなく私は2人組となり、結果的にその相方とは親友になった。毎日の登下校を共にし、放課後には帰宅部同士毎日のようにカラオケやプリクラに勤しんだ。

 互いの家に泊まり合う中で、彼女の複雑な家庭環境に触れたりもした。

 彼女の想い人に告白されてしまった時も、キッパリ断った上で正直に打ち明けて、何故か夜中に2人で泣いたりもした。(そのあとこの男に大学卒業まで想いを寄せ続けることになるが、またそれは別のお話)

 バレンタインも、ハロウィンも、クリスマスも、2人で楽しいことを企画して、いつも爆笑していた。クラスでは大所帯に属しているけど、声の大きい私達があらゆる遊びの発起人になり、みんなで色んなところに遊びにいった。

 そんな時もいつも、私と彼女は隣同士に座っていた。

 

 高校2年でクラスが別々になっても、基本的な勢力構成は学年単位で継続された。去年までのクラスでの立ち位置が同じような誰かを、なんとなく見繕いあって、同じような居心地のクラスになっていく。

 当初、一年時の大グループから同じクラスになった子が一人も居なかった私は焦りこそすれ、上手いことたち回って愉快な環境を手に入れた。

 授業やクラス行事で共に行動する女子は居ても、HR終わりには教室で別れを告げ合って元の友達と待ち合わせる。登下校がスクールバスだったこともあり、そこでの絆は特別強く、それは学年全体を通してみな同じ認識だったと思う。

 

 高校生なりに、みんな、律儀な友情観を携えていて、クラスの友達はクラスだけの友達、登下校の友達が一番仲良し、というのをきっちりと守っていたように思う。今考えると、だけれど。

 

 例に漏れず、わたしもいつもの3人組で登校バスに乗り、放課後は2人で遊んで帰る毎日。(もう1人は部活をしていたし、彼氏と帰っていた)

 それが、2年の終わり頃から、変わり始めた。

 ちょうど、同じようなタイミングで彼氏が出来て、どちらかが彼氏と帰る日にはどちらかもそうしたり、そんなふうに、バランス良く関係を維持できていたと思っていたが、段々彼女の様子がおかしくなっていった。

 どうやら彼氏と帰っていない日にも、帰りの待ち合わせを断られているようだと気付いた。

 朝の登校バスも、気付けば私が後ろの席に座ることが増えた。

 知らない間に私以外の2人で遊んでいて、撮ったプリクラを笑顔で渡された時、感じたことのない恐怖で体が震えそうになった。笑顔で受け取れたはずだけど。

 

 結局、3年に上がる頃には完全に2:1の組み合わせが入れ替わっていて、わたしは卒業まで1のままだった。気付いた後、わたしが彼女と2人で遊んだことはない。

 かと言って、卒業式の日まで登下校は一緒だったし、最後に3人で撮った写真から第三者が違和感を掬いとることは出来ないと思う。

 だけど、確実にわたしは「切られた」。

 

 思い当たるのは、私の奔放な恋愛観に引かれてたのかな、というぐらいなのだけど(笑)、きっと違っても一生知ることはないのだろうな。身近な彼女達の心が離れたのだから、当然他の女子にも距離を取られていた。これもまた、気付いたら学年中の女子に距離を持たれていた。(ほんの数人を除いて)

 動揺したし、寂しく、何より恥ずかしい気持ちで落ち込みそうにもなったが、強烈にプライドが高いことで気丈に振る舞えた。結果、高校最後の数ヶ月はほとんど男子と過ごしていた。

 

 残酷なことに、生徒の8割が附属大学に進学するため、わたしはこの呪いを卒業でリセット出来ない。

 「絶対こいつらよりイケイケの大学生になってやるからな」という強い気持ちが私をパーティーピーポー大学ウェイ学部ウェイ学科オールラウンドサークル専攻へと導いた。

 結果、わたしを切ったあの子達よりずっと華やかな大学生活を送った自負があるが、それでもずっと彼女からのマイミク申請を待ってしまう自分がいた。高校からの腐れ縁友達(上記のゴニョゴニョ男)が彼女を悪く言うことで私を励まそうとしてくれたが、ありがとうの気持ちで一緒にディスりつつも、それでも「仲直りしよ」って言われたら尻尾を振って飛びついただろうなぁと今でも思う。

 

 そして、そんな自分がダサくて嫌だなぁとも思う。

 

 という出来事から、大学以降あまり女友達に強く思い入れない様にしてきた。素を見せるのは意外と男相手ばかりで、その結果共依存系彼氏を量産する人生になった。

 

 女の子と接する時にこそ一番空気を読んだり、「この場の役に立つように」という考えで行動してしまうし、逆にいうとライフステージの変化やちょっとした違和感で簡単に縁を切ってしまう。

 切られることが嫌すぎて、先に自分から切る人生の繰り返しの中で、どうやら私は女友達が不得手なのだなぁと自覚した。

 

 でも、そんな自分のことも好きなのだ。

 自分が何に傷付くか、どうしてなのか、どうやったら避けられるか。考えて、自分のために行動できるところがとても良いと思う。

 

 だけど最近、私はまた大きな女友達のネットワークに所属してしまったように感じている。

 趣味の仲間、という集い方をしたのが初めてだから、これからどうなるか分からないけれど、趣味を超えて結び付く瞬間や、空気を読むことにこだわらなくてもいいやと思える夜を共にして、それが年単位で続いていることに、さすがに降参した。

 

 苦手なことに距離を取る処世術が武器のわたしですが、性懲りもなく女友達が増えてしまった。弱点が増えてしまったけれど、仕方がないので受け入れて乾杯を繰り返してゆく。

 

 もしかしたら、今度はうまくゆくのかもしれない。